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I'd Rather Go Blind / Etta James : 2004-07-06
とってもシンプルな二つのコード、A と Bm の間をゆっくりと「さすらう」その様が、まるで「はかない一婁の望み」と「やはりダメかも、という暗い予感」の間で揺れ動く彼女の心を表しているかのように思えて、息が詰まるような「切なさ」を感じてしまいます。

1967年、Muscle Shoales で録音されたこのナンバーは、いささかセンチメンタルに過ぎる、と言えなくもないですが、ま、曲の内容からいっても、このウェットさ、そしてヘヴィーさは必然だったのでしょう。

もう終ったのが判る
それはあなたが彼女と語りあっているのを見たときから
わたしの魂の奥底で「泣いてもいいのよ」と声がする
それはあなたが彼女と連れだって店を出ていくのを見たとき
ああ、もういっそ目が見えなければよかったのに
あなたがこうしてわたしの前から去って行くのを見るくらいなら・・・

例によって「原文どおり」っちゅうよりは、かなり意訳でございますが、やはり、独特の緊迫感に溢れた世界でございます。
あ、Freddie King の Texas Cannonball にも似たよなタイトルのI'd Rather Be Blind ってえ曲が入っておりますが、それはまったく別な曲でございますので、おマチガイなく。

1981年のライヴでのテイク(友人たちが金まで工面してくれたこのレコーディングは 1994年にようやく陽の目を見る・・・)もそれなりに「いい」のではございますが、やはりここは Her Best などに収録されている、オリジナルの方が「来ます」ね。
また、この曲は数々のミュージシャンによってカヴァーもされているのですが、一度、BLUES'N でダディ正井が見せてくれた O. V. ライトによる演奏が別な意味で(なんだか、やたらエア洩れが激しい?)記憶に残ってます。

この曲自体もそうなんですが、実は Etta James 本人の生涯についても、様々なドラマがあり、それゆえに、どうしてもその側面ばかりが強調されがちで(ま、それも事実といえば事実だからいいんですが)、これまで彼女を採り上げるのを躊躇させてきた一因となっておりました。まるっきり資料が無くて、書くことが無い、ってのもあまり面白くはないのですが、彼女のようにイロイロあり過ぎるのもねー。
なんてゼータクをこいてるバヤイじゃないですね。

彼女の本名は Jamesetta Hawkins と言います。その Jamesetta を Johnny Otis が 1950年代半ばに前後に分割し( James + etta )それを前後入れ替えてステージ・ネームとしたものが Etta James というワケ。
1938年 1月25日に Los Angeles で生まれています。
母の名は Dorothy。でも父については、明らかではありません。そのヘンの彼女の出生にまつわるストーリィについては The HEART of SOUL というサイトのhttp://www2.tba.t-com.ne.jp/mtdy/etta.htm でとても詳しく採り上げておられますので、もしよろしかったら、そちらもどうぞ。

さて、それはともかく、その彼女は僅か 5才にしてゴスペル歌唱の才能を発揮していたそうですから、これは「天才」と言ってもいいでしょう。
Saint Paul Baptist Church で歌う彼女は、すぐに、その声量や表現力の豊かさからすぐに注目を浴び、the Echoes of Eden という聖歌隊に属するからわら、James Earle Hines( MSNの Etta James Bio.からジャンプする James Earle Hines は「まったく別人の」ジャズ・ピアニスト Earl Hines!ダマされないように!!Professor James Earle Hines はゴスペル・グループ the Goodwill Singers を率いる「声楽」のひとです!)の指導を受け、その才能を開花させています。

1950年には San Francisco に移り、女性三人からなるグループ、the Creolettes(クレオールの女性形を複数にしたもの)を結成し、ハンク・バラードのWork With Me Annie に対するアンサー・ソング、Roll With Me Henry を吹き込みます。
これに注目した Johnny Otis によって、この曲は The Wallflower と改題され、1955年に実に 4週にわたって R&B チャートの首位を独占したのでした。同時に Jamesetta から Etta James への(ときには間に Peach を挟んで、Etta "Peach" James とも呼ばれたようですが)改名もなされています。
つづいて同じく Modern に吹き込まれた Good Rockin' Daddy も R&B チャートの 6位まで上り、彼女の知名度は猛烈な勢いで上昇いたしました。

また、このころには Johnny Otis 御一行様とのツアーにも出ており、当時の Bo Diddley や Little Richard、Nappy Brown に Johnny "Guitar" Watson などとも共演していたようです。
結局、Modern Records との関係は 1958年まで続きました。

1960年に彼女は Chess のサブ・レーベル、Argo と契約し、すぐさまかなりな勢いで吹き込みを開始します。当時のボーイ・フレンドだった the Moonglows のリーダー Harvey Fuqua とのデュエットや All I Could Do Was Cry などが次々にチャート入りする状態で、Leonard Chess はさらに彼女の音に工夫を凝らし、オーケステレーションを導入したり、あるいはゴスペルに振ってみたり、ついには 1963年の Nashville、New Era Club でのライヴ・アルバム Rock the House までリリースし、彼女の絶頂期とも言えるひと時代を作り上げたのでした。

そして 1967年、また別なポテンシャルを求めて Rick Hall の Fame Studio に入った彼女が生み出したのが Tell Mama と、この曲、I'd Rather Go Blind だったのです。

それから後のことなども、前述の The HEART of SOUL に詳しくアップされております。
ワタシの方は、この曲が吹き込まれた、この時点で「降り」ます。
この曲に関して言えば、ただじっくりと聴いて、味わっていただきたいだけです。
多くのカヴァーが存在しますが、その原典はここ。
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by othum-m | 2004-07-06 21:06

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